March 02, 2005

2541の謎


銀座4丁目の角にそびえる和光は文字通り銀座の顔といえるのではないでしょうか。昭和7年(1932年)に建てられた時計塔のある建物は、前を通ると思わず見上げてしまうほどすばらしいものです。
実はこの建物の外壁には6つのデザインのレリーフが刻まれており、通りからも歩きながらちょっと顔を上げると見ることができます。その中に月桂樹に囲まれた懐中時計が描かれており、服部時計店の頭文字と思われるHの下に「2541」という数字が確認できます。この数字が気になり、一度思い切って和光の受付に伺い、係の女性に聞いてみたことがありますがその女性はこのレリーフ自体も知らないとのことでした。
数ヶ月後、立派なスーツに身を包んだ若い男性社員がたまたま店の前にいたので同じ質問をしましたが、残念ながらその男性もこのレリーフについてはまったく知らず、その前まで案内して実際に見てもらっても首をひねってしまいました。
でも、店舗としての和光はすごいですね。銀座の一等地にありながら午後6時閉店で通常は日曜・祝日は休業です。開店時刻の午前10時半になると創業当時から続いていると思われる儀式のように厳かに客を迎える一連の動作にも歴史を感じます。
かくして2541の謎は深まるばかりです。

【2006.3.13追記】
実はちょうど1年前の2005年3月13日にこの疑問は解き明かされていたのを思い出しました。
教えてくれたのは中学時代の同級生で、現在は東京都内の某大学教授のO氏です。私の別のサイトの掲示板に投稿してくれた文面を以下にコピーします。さすがに最後の1文がシャレてます。

『銀座和光ビルの壁面のレリーフにある「2541」の数字の意味ですけど。あれは服部時計店の創業年のことだと思います。皇紀で数えると、すなわち神武天皇の即位の年(西暦に換算すると紀元前660年)を元年とすると、服部時計店の創業年1881年(明治14年)は皇紀2541年になります。ちなみに皇紀が制定されたのは1972年(明治5年)のことで、欧米への対抗意識(ナショナリズム)が歴史の目盛りにまで及んだというべきでしょう。』

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February 28, 2005

三信ビルディング


東京都千代田区有楽町一丁目にあるレトロなビル、「三信ビルディング」がやっぱりというか、残念ながら解体になるそうです。昭和5年(1930年)竣工だそうで、100年保たなかったのはもったいないと思えるビルです。1階部分はアーケード(店舗)になっているので門構えの割には入りやすいし、解体前に見ておく価値はあります。
入り口を入ると、何となく香港のペニンシュラホテルを思い出すアーチ状の装飾が特徴の吹き抜けが目に留まります。小津安二郎の世界が現在まで生き延びていたような印象があり、エレベーターホールや階段の造形など、ちょっとしたところに歴史の重みを感じる惚れ惚れするようなデザインが施されています。
実は今日、解体のニュースを聞いて心配になり出かけてみましたが、アーケードも営業を続けてはいますが、解体の告知以降に見学者が増えたのか、館内のいたるところに「写真撮影禁止」の立て看板が置かれていたので、今日は写真を撮るのを諦めました。個人的にはアーケード部分に関しては多くの人に訪れてもらって写真として記録に残してもらいたいと思うのですが、残念です。
建て直された新しいビルは 銀座6丁目の現在の交詢ビルのように、申し訳程度に以前の面影を残しただけのビルになってしまうのでしょうね、きっと。
(この写真は、撮影禁止の看板が立つ前の2004年11月に撮影したものです。)

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February 27, 2005

みんなの泉(馬水槽)


JR新宿駅東口駅前広場にちょこんとあるこれ、「みんなの泉」というちょっと陳腐に思える名前がついていますが気になりませんか?脇にあった碑文には興味ある説明があったので全文引用します。

「みんなの泉」
この塔は、明治三十九年ロンドン水槽協会から東京市に贈られたもので、上部が馬、下部が犬、猫、裏側が人間の水飲場となっておりますが、元来動物愛護の目的で造られたものです。
当時東京市役所前に置かれ、その後淀橋浄水場に移され、今回更に新宿民衆駅完成を記念してこの場に移設されました。ロンドン近郊には今なおこの種のものが残っており市民に親しまれております。
このたび、みんなの泉と命名され、この地に永久に残ることになりました。
昭和三十九年九月

これは東京の水道の育ての親といわれている中島鋭司博士というかたがが欧米諸国を視察した際に、ロンドン水槽協会から寄贈されたそうです。明治三十九年(1906年)といことは100年近く経つわけですね。当時の西口にあった淀橋浄水場(現在の新宿副都心のあたり)から移設された昭和三十九年というと1964年ですから、東京オリンピックがあった年です。民衆駅とは駅ビルを持つ駅のことだそうです。その頃はこの辺も相当な建設ラッシュだったのだろうと思います。
「みんなの泉」とは「人も動物も一緒」という意味だったのですね。人は裏側というところは、いかにも動物愛護がさかんなイギリス的な発想といえるのではないでしょうか。

蛇足ですがヨドバシカメラは浄水場があった新宿区淀橋が発祥の地とのことです。

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February 23, 2005

パッション


キリストの受難を描いた映画、「パッション」はシンガポールでは2004年の4月頃に公開になっていました。英語学校のクラスメートであったクリスチャンのベトナム人はえらく感動したらしいですが、キリスト受難の描写がかなりリアルらしかったので、映画館には足が向きませんでした。

ところでこの写真、同名映画のDVD発売のポスターで、奇しくも2004年の12月25日に地下鉄の銀座駅近くで撮影したものですがこれはスゴいです。「キリストが殺されて、クリスマスは生まれた。」というコピーもショッキングですが、普通のポスターの2枚のスペースを使い、2部構成になっています。
左の"キリストが殺されて"のほうは階段の途中で酔いつぶれたオヤジを介抱する警備員の脇を細長いクリスマスギフトを担いで急ぐ若者が丁寧に描かれています。その後ろにはクリスマスケーキを手に持つおとうさんも続きます。
一方、この映画の1シーンと思われる右の"クリスマスは生まれた"を見ると、十字架を担いだキリストの受難が描かれています。その前にはキリストにひれ伏す男と、男をどけようとする兵士が描かれています。
ここで改めて左のシーンを見ると、なんとこれは右のシーンをモチーフにクリスマスに浮かれる現代人を風刺的に描いたものであることがわかります。クリスマスギフトと階段の手すりがちょうど十字架のイメージと重なり、若者はキリストです。
あえてコピーとポスターの内容を逆にしているところ("キリストが殺されて"は受難の描写で使い、左にもってくるのが順当でしょう)もやられたという感じです。いったいどんな人が作ったのでしょうか?(大きいポスターはこちら

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February 22, 2005

スヰートポーヅ


大学時代にたまに昼食をとりにいったスヰートポーヅ(スイートポーヅ)という餃子屋が神田神保町のすずらん通りにありました。
昨年の10月に神保町のタイ語学校に通った際にすずらん通りを久しぶりに歩いてみたら驚いたことにその店がありました、しかも以前と変わらない店構えで。というか、実はそこにその店があったこと事態を忘れていたいたのですが。たまたま店の前を通って、黄色い看板を見つけた瞬間、当時の記憶が懐かしく蘇ってきました。30年ぐらい前の話で、今覚えているのはあとは小龍包だったか、注文してから作るとかでえらく待たされた(30分ぐらい)ことぐらいですが。
今度はぜひ久しぶりに食べてみたいですね。小龍包は今でも30分待たせるのか気になるところです。

店名にある「ヰ」はワヰウエヲの「ヰ」とのことですが、以前よく目にしたニッカウヰスキーも今ではアサヒビールグループになってしまったし、この文字は風前の灯です。

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February 21, 2005

PAD?


大手家電量販店のエレベーターのドアに貼られたフロア案内です。5階はパソコン、周辺機器、パソコンソフトのフロアのようですが中に"PAD"というのがあり、一瞬考えてしまいました。マウスパッドのことをわざわざこうは書かないし、第一フロア案内には載せないでしょう。iPod(確かに5階にはコーナーがあったけど)をここまで間違えないだろうし。しばらく眺めていて、案内のすぐ後に書かれた「電子辞書」に目がいき、どうやらこれは"電子手帳"をあらわすPDA(Personal Digital Assistance)の間違いであろうと気がつきました。
でもそうだとしても無理もないですね、日本ではPDAの人気はジリ貧で、PDAという単語は死語になりつつあります。電車内ではみんな携帯をいじるのに夢中で、ポケットPCやpalmなどのガジェットまで手がまわりません。もしかしたらお店の人は、逆に人気がすごいiPodが頭のすみにあって"PAD"としちゃったのでしょう。
palmは一時は日本語バージョンまで正式にリリースされていましたが、今では輸入版を苦労して手に入れて、日本語を使うには別途ローカライズ用のソフトを購入して入れなければなりません。黎明期に逆戻りです。
そういえばfilofaxなんていう結構な値段のシステム手帳も以前流行りました。私がこれを知ったのは1985年頃の話です。当時は多くの社会人(私を含め)がこれに財布や電卓まで付けて分厚くなったのを誇らしげに持ち歩いていました。これってまだ売ってるんですね。

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February 19, 2005

カウパレード


JR有楽町駅前のスバル座があるビル(有楽町ビルヂング)の入り口に奇妙な牛のオブジェがあるのがどうも気になっていました。というのはシンガポールでライオン像をモチーフにしたそっくりのアートイベント(2004年6月4日参照)があったからです。
この牛は、「カウパレード」というパブリックアートの世界的なイベントの作品だったようで、牛の像にその国のアーティスト達が独自のアイデアでペイントを施して街なかに展示するという趣向で、第1回は1998年にスイスのチューリッヒで開催され、以後シカゴ、ニューヨーク、カンザスシティ、ヒューストン、ロンドン、オークランドと続き、2003年9月5日から10月5日まで東京で開催されたそうですが、全く知りませんでした。(知ってたら行ったのに)
会期終了後に64の作品はオークションにかけられ、収益は慈善団体に寄付されるというのもシンガポールと一緒、というか、シンガポールのライオン像のイベントのほうがパクったのかもしれませんね。この牛は有楽町ビルヂングが落札したのでしょうか?
ちなみにこの作品は鶴飼紳祐氏の「Through The Pacific Ocean」です。

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February 18, 2005

多摩川の護岸工事


自宅近くの多摩川で現在護岸工事がおこなわれています。その見学会が2月11日にありました。しっかりしたホームページといい、見学会といい、地域住民に情報を公開してもらえるのはやはり安心感があります。
工事現場は多摩川大橋の下流で川が大きく右に流れを変えるところの左岸(大田区西六郷2丁目付近)でおこなわれています。このあたりは江戸時代から水害の被害にあったようで、工事にあたっての調査で川底から大正~昭和初期に築かれた水制工(流速を減少させ、流れの方向を変化させることで流れが岸に激突することを防ぐ施策。)が発見されたそうで、せき止められて姿を現したその様子(写真の中央部分)も見学することが出来ました。
護岸工事というと、コンクリートでガチガチにしてしまう印象がありましたが、説明によると表層部分には植物が根を下ろしやすい資材を使い、環境面にも配慮されているとは感心感心。

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February 17, 2005

確定申告


私は2003年の6月に退社したあと職についておらず、その年の年末調整もしていないので、本来ならば2004年の2月に確定申告すれば源泉徴収の差額が還付されたわけですが、シンガポールにいたためにできませんでした。
ところが還付請求は過去5年にさかのぼって手続きが可能という納税者の立場にたったしくみがあるので、さっそく税務署に行ってきました。
実は国税庁のホームページの特集ページに必要事項を入力してプリントアウトしたものを税務署に持参すれば手っ取り早いのですが、入力に不明なところもあったので税務署にでかけました。行って驚きましたが、コーナーにタッチパネル式の端末が数台あって、簡単な入力で必要な書類が出来あがります。入力については係員が手取り足取り教えてくれます。
税務署というと手続きが複雑で面倒な印象がありましたが、確定申告のパソコン用ソフトを買わなくて本当によかった。

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February 16, 2005

春節


中国の人たちにとってのお正月、「春節」は旧暦でよまれ、毎年日付が変わるのは日本でもよく知られています。今年は2月9日でした。シンガポールから来たメールには Gong Xi Fa Caiと書かれていました。これはコン・シー・ファー・チャイと読み、恭喜發財と書くようです。本来の意味は「儲かりますように」のようですが、中国語はわかりませんが直截的な意味合いよりも一般的な新年の挨拶として使われているのではないかと思います。
シンガポールでは春節になるとコンビニやスーパーを除き、ほとんどの商店や飲食店が数日間休みに入り、食事にまったく困るということはなかったものの、不自由な思いはしました。

そこで、横浜中華街の様子が気になり出かけてみました。行っておどろいたのは飾り付けを除いてはまったく普段と変わらない街の様子です。店もほとんど平常どおりの営業でした。一通り歩いてみて休みの看板が目に留まったのは香港路にある海員閣たったの1店だけ。爆竹でも派手に鳴り響いているのかと期待していましたが、インフォメーションの係員の話では午後4時からパレードがある他は普段と変わらないそうでした。ガックシ。中華街大通りにかかった赤い提灯と関帝廟に参拝する人の多さがかろうじて春節らしさをただよわせていました。
それにしても店頭で甘栗を売る店が増えましたね、横浜中華街。以前は肉まんぐらいしか目にしませんでしたが。道行くおばさん連中に対しても盛んに「チョット、オネーサン、アマイヨ、アマイヨ!」と熱心に売り込みをしています。少しでも恭喜發財という感じです。

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